「Mera ye khayal」からはじまる

人間なので文を書きます

「頭が良い」ということについて考えました。

タイトルの通りです

 どうも皆さん。うっでぃです。ご無沙汰しておりません。昨日更新しました。

 

 前々から「頭が良い」ということについて思うところがあり、二日続けてキーボードをぺちこりぺちこりと叩いているというわけです。

 

 

 御託はさておいて、何はともあれ僕の考えを聞いていただきたいと思います。

 

 

 

みんなはよく言うけど

 覚えがおありだと思うのですが、

 「「頭が良い」っていうのにも色々あるから~」

 

 これ…………本当にそうでしょうか?!?!?!

 

 

 一義じゃないですか?!?!?!?!?!

 

 

 という話がしたかったんですよね。

 

 

 たしかに、「頭の良さが発揮されるシーン」は人によってさまざまだと思います。

 「要領が良いから仕事を覚えるのが早い」とか、「記憶力が良いから学校での成績が良い」とか、「頭の回転が速いからスポーツが上手い」とか、全部「頭が良い」には違いありません。

 

 でもそれは、物の(人の?)性質を言い表す形容詞が完全に一つを言い表せてはいないというだけの話じゃないですか。例えば「青い」といっても数えきれないほどの青色が包括されているし、「熱い」にも無限に程度があるし、「つらい」にも「痛い」にも「楽しい」にも「嬉しい」にも「かたい」「やわらかい」「易しい」「難しい」あれやこれややいのやいの…………

 そういうわけで、「頭が良い」に種類がある、というのは何というかものすごく違和感があるんですよね。「頭が良い」という言葉で「頭が良いと感じられる様子」を全て包括している、というだけの話じゃないですか?……僕も何言いたいのか分かんなくなってきましたよ。

 

 僕が「頭が良い」って一義じゃないか?って言ったのはつまり、「頭が良い」とはどういうことかを端的に説明することは可能なはずです、ということです。

 

 

 僕の中では、「頭が良い」と言った時にはこの意味でしかない、と定まったものが一つあります。それを言いたかった。

 

 

もったいぶってないで教えろ

 すいません。

 

 しかしその前に、少しだけ話をさせていただきたい。

 

 

 僕の好きな漫画に『グラップラー刃牙』シリーズというやつがあります。まぁ非常に有名な作品ですから、さして改めて説明する必要もないかなと思いますが、簡単に言うと「“強い”を極めた男たちが地上最強を目指して戦い続けるだけのバトル漫画」です。

 これがですね、登場人物にそれぞれ哲学があって最高なんですよ。

 それで、なぜこの話をし始めたかというと、主人公範馬刃牙の父親にして、地上最強の称号をほしいままにしている超雄、範馬勇次郎が持つ「強さ」に対する哲学というのが、僕の考えをうまく補完してくれるものだからです。

 

 彼の言葉をまとめるならば、

強さの最小単位とは、我が儘を貫き通す力である」

ということです。

 

 

 これを受けて、僕の考える「頭の良さ」とは何か。それは、

頭脳を以て、対象を思い通りにできる能力

であると考えています。

 

 

 であれば、自分に対する印象を操ることも、知識を取り入れて血肉とすることも、繊細で複雑な物を取り扱うことも、話術で巧みに相手の気持ちを引き出すことも、相手に何かを理解させようとして上手に説明することも、すべて、「頭が良い」と感じるべき事柄やその人について、上の一言で説明できるのではないかと思うんですよね。

 

 そして、我々が「天才」と称する人がいますが、僕がそういう人たちの性質を説明するとしたら「自分自身を思い通りにできる能力が備わっている」だ、と言います。

 「頭が良い」というのと「天才」というのとは、そういう意味で同一視するべきではないんじゃないかな、と思う次第です。

 

 

 

まとまらない

 僕は文章を上手くまとめられない、つまり「文章」という対象を思い通りにできていないので、頭があんまり良くないのかもしれませんね!!

 ……まとまったな!!(は?)

 

 

 まぁ思いの丈はぶちまけられたので良しとします。

 お疲れ様でした!おやすみなさい。