日本の恋人たちはもっとセックスするべきだと思います。
怪しいタイトル
ご無沙汰しております。うっでぃです。
一体何を語り出すのか不安なタイトルをしておりますが、安心してください。どこまでもそのまんまの話です。
日本人って………
セックス嫌いすぎじゃない?
もっとした方が良くない?
と、いうような話を長々と述べようと思っています。よろしくお願いします。
事の発端
なんでこんな怪しげなタイトルで怪しげな話をしだしたか、という話をします。
実は僕には遠距離恋愛(埼玉と静岡なので中距離ぐらいかもしれない)中の彼女がいまして、1年半前に二人とも大学を卒業して以来、たまに(頻度はまちまちですが平均すると2ヶ月に1回ぐらいです)僕が遊びに行くというような関係で交際を続けています。
で、遠距離恋愛(中距離ぐらいかもしれない)している身としては、久々に会う以上は彼女との営みが大きな楽しみになるわけじゃないですか。男性としては当たり前だと思うんですけど(女性の立場は分からないですが)。
それで、前に会った時……まぁ半年弱前ぐらいのことなんですが、僕はとても正直なので、会う直前のやりとりの中で「久しぶりにセックス出来るのが楽しみ」って伝えたんですよ。正直なものなので。
そうしたら彼女から返信が来たんですが、その内容が
「体目当てなのね……」
だったんですよ。
もちろんこれが会話の中のありがちな茶化しとしての側面も持っていることは重々承知しています。しかし、僕はそれ以上にこの反応に対してものっっっっっっっっっっっっっっっっすごくモヤモヤしたので、その気持ちに整理をつけたくて、いろいろと頭をこねこねしてきました。
純粋な疑問
この話って僕と彼女との間だけで起きていることじゃなく、日本全体にそういう風潮があると思うんですがどうでしょう。
平たく言えば、「セックスばっかりする関係なんて「じゃあセフレでいいじゃん」ってなっちゃうし、なるべくならセックスなんてしてなくても愛し合える関係がいいよね〜」みたいな感じですか。想像以上にありがちな雰囲気を醸し出してしまった。
たしかに、「セックスをしていなくても愛し合える関係」、いわゆるプラトニックラブですか、恋人同士というより人間同士でそれほどまでに深まった関係性(いわゆる「絆」-KIZUNA-)を持てるのは理想と言っていいでしょう。
しかしですよ。
それセックスしない必要あるか???
さらに言うなら、
それセックスしてたら叶わないんか???
と、いうような話になると思うんですよね。なりませんかね。
「セックスがしたい」に含められる意味
察するに、「セックスしたいと求められる=セックスが会う理由になっている=私と付き合っているのはセックスが目当て」という思考回路がそこにはあるんだと思いますが、そもそも人間は普遍的に(一部のセクシャルマイノリティを除けば)多かれ少なかれ性欲を持っていますし、恋愛対象たる相手とセックスをしたいという気持ちはきわめて当たり前のものではないでしょうか。
くわえて、その相手として他でもない「あなた」を選んでいることを、あまりにも軽視しすぎではないでしょうか。
恥を忍んで言いますが、少なくとも僕は、恋人と会う時にセックスを期待していることは否めません。というのも、これは「セックスがしたい」ではなく、「あなたとセックスがしたい」という欲求です。僕はこれを後ろめたいものではなく、むしろもっと恋人に対してはっきりと伝えていくべきものだと思っています。
なぜかというと、この時の「セックスの目的」を考えれば、後ろめたいところなど持っていないからです。
たとえばみなさんには友達がいますよね。僕にもいます。いない人は……どうか泣かないで……
まぁもちろん人によるとは思いますが、たいていの場合は「この友達とはこの遊びを通じて仲良くなった」というものがそれぞれにあると思います。
しかし、ここで注意しなければならないのは、仲良くなったきっかけはその遊びだとしても、仲良くなった理由はその遊びを通じたコミュニケーションであるはずなんですよね。
これはセックスにも言えることで、言葉の上では「あなたとセックスがしたい」と表されるものの、内実としては「あなたとセックスを通じてコミュニケーションをとりたい」という方が本来の欲求に近いんですよね。
とするならば、「またお前と○○して遊びたい」という友達に投げる言葉と、「またあなたとセックスしたい」という恋人に伝える言葉とは、意味合いとすれば両方とも「もっと仲良くなりたい」であって、後者だけを殊更に忌避するのはおかしなことだろう、と思うわけです。
しかし、逆に言えば、「もっと仲良くなるために、セックスを通じてコミュニケーションをとりたい」という気持ちが欠けている場合、その恋人とのセックスは「性欲の発散」を目的としているに違いなく、それは恋人とする意味を持たないので、忌避されても仕方のないことだと思います。
要するに、世の女性がセックスを求められて嫌な顔をする原因は、この「セックスの目的」に対する誤解にある、と言えるのではないでしょうか。
もちろん、男性側もこの目的に自覚的でない人が多いのも問題で、それによって一層その誤解は広まってしまっていると思います。
恋人はもっとセックスをするべき
「友達となら遊ぶだけで仲良くなれるのに、恋人とは仲良くなるためにセックスしろって話になるのおかしくない?」という反論が、この記事を読んだ僕の想像上のギャルから飛んできました。
結論としては、おかしくないとはっきり申し上げます。
セックスによって交わされるコミュニケーションの密度は、ほかのありとあらゆる行為をして全く歯が立たないほどに、恐ろしく濃いものです。
なぜかといえば、セックスは
- 裸を見せ合う行為である
- 相手が求めていることをする必要がある
- 純粋に気持ちがいい
からです。
まず、裸を見せ合うのは弱みを見せ合うことに等しく、お互いに壁がないような状態になります。
そして、コミュニケーションというのは究極的には相手の欲するところを知ることに行き着きますが、良いセックスというのは相手の欲するところを全て叶えることで実現するものです。
最後に、人間同士の関係が深まるとき、そこには感情の共有が不可欠です。殊に、快感を共有することは確実に人間関係に良い影響をもたらすはずです。
これ以外にも様々あるとは思いますが、以上の根拠のみをもってしても「セックスこそが最強のコミュニケーションツールである」ということは十分に言えるかと思います。
だからこそ、恋人同士は恋人同士でしか出来ないセックスをするべきなんです。セックスを通じてしか得ることのできない濃密なコミュニケーションを求めるべきなんです。
最後に
時々、セックスに関して、「新しい命を授かるための神秘的な行為なのだから、悪いことだと思ったり下品なことだと思ったり、忌避したりするのがそもそもおかしい」というような言説もありますが、それは少し違うかな、と思っています。
もちろん、セックスが神秘的な行為であるという一面を持っているのは確かだし、美しい行為であるというのも間違いありません。
しかし、たとえばさっき言った通り「性欲を発散するためのセックス」のような、あくまで娯楽でしかないセックスも存在します。なんなら僕は、恋人同士のセックスさえ娯楽として考えても構わないと思っています。
あくまでも大切なのは、恋人同士がセックスの素晴らしさを享受するために、セックスの先にあるコミュニケーションをちゃんと見つめることだと思います。
僕は、「セックスを通じたコミュニケーション」を目的に据えることを忘れない限り、セックスという行為は恋人同士の関係を深めこそすれ、風化させたり引き裂いたりしてしまうことは絶対にないと思うのです。
セックスを悪者にしてしまいがちな人には是非とも考え直してほしいものだと、僕はいつもそう思っている次第です。