「Mera ye khayal」からはじまる

人間なので文を書きます

「自分で選んだことの責任」について考えました。

おもくない?

 すいません。

 

 お騒がせしておりま…しておりません。うっでぃです。よろしくお願いします。

 

 生きるのがつらいのはどうしてか、という話をちょっと前にしましたね。

 親切なのでそのエントリを貼っておきますかね。

woody-the-ojiya.hatenablog.com

 

 つい最近、これに加えてさらに一つ考えてみました。ちょっと上のエントリともかかわってくることなので、読んでおいてくれるとなお望ましい。

 

 考えてみたことというのは、「責任」という言葉についてです。

 特に、「自分が選んだことなのだから責任を持て」という時の「責任」について。

 これがどうして腑に落ちないのか、「怒られている」と感じるのか、ひいては「つらい」のか。

 

 これを説明するために必要な概念として、「積極的な選択」「消極的な選択」の2項対立を用います。

 

 

 

 

人間の健全な生活に欠かせないもの、それは「納得」

 なんのこっちゃねんと言いたくなる気持ちを抑えてもう少し付き合ってください。

 

 皆さんの人生は選択に満ちていますよね。何をするのにも何かを選ばなくてはいけない。

 朝起きて、学校に行くか、学校をサボるか、これも選択。

 昼ごはん何食べる?和、洋、中、これも選択。

 お金ないけど、バイトするか、しないでおくか、するなら何やるか、これも選択。

 友達と会話中に、この鉄板ネタ、今使うべきか、取っておくべきか、これも選択。

 

 

 これらの選択、すべて「積極的な選択」「消極的な選択」に分けられますよね。

 自分がそっちを選びたくて選ぶのが積極的な選択

 他に選びたいものもないから、或いはそれ以外を選びようがないから、或いはみんなそっちを選んでるから、そっちを選ぶのが消極的な選択

 

 これを見ると分かると思うんですが、消極的な選択というのはめちゃくちゃパターンが多く、それに伴って人生のあらゆる選択のうちで消極的な選択の割合はめちゃくちゃ高いはずです。

 逆に、積極的な選択というのは人生のうちでもなかなか少ない。なぜかって難しいから。自分の選びたいものを明らかにするというのは手間のかかることです。

 

 

 しかし、そんな中で人は言われるわけです。

 「お前自分で選んだんだろう、だったら責任もってやり遂げろ」と。

 

 言われたことある人で、これに納得できた人はどれくらいいますか?

 たいていは納得できないんですよね。だって「消極的な選択」だったんだから。

 

 積極的な選択をした人間はこんなことを言われるまでもなくやり遂げます。人間社会に通底する「自分がやると決めたことは最後までやり遂げるべき」という観念は非常に一般的で、かなりの人が遵守しようとしているんじゃないかと思います。

 ただ、不運か、はたまた情報不足ゆえに、積極的な選択が自分の選択したかったものとは違った、となる場合はあります。そういう場合に関しては……また別の話。

 

 

 人生どんな選択をしようともある程度は「嫌なこと」がついて回ります。それはもう大小問わず。さっきの「選んだことなんだから責任を持て」と怒られたりとかいうのもそれに含まれますよね。でも、その「嫌なこと」に納得できるかどうかって非常に大きい問題だと思うんですよね。

 さっきも言いましたが、「消極的な選択」にかかる「嫌なこと」っていうのは、たいてい納得がいきません(ここでいう納得というのは「飲み込める」ではなく「受け入れられる」というニュアンスです)。

 一方で、「積極的な選択」の末に起こる「嫌なこと」は、ほとんど納得がいくと思うんですよね。なぜなら自分のしたいことのためだから。そこに付随することは、やりたいことのために避けられないのだ、と考えるからです。

 

 

 この「納得」というのが、僕は人生を豊かにするものなんじゃないかなと思っています。

 昔はこの「納得」が「お金」によって得られたので、企業勤めが積極的に選ばれる風潮があり、今は労働者の「納得」を買えるだけのお金を企業が出せないこともあって、企業に勤めることは消極的な選択になりがちなんだと思います。

 

 

 

 

 ……書けば書くほど絶望するんですが、人生で物事を積極的に選んだ記憶全然無いんだよなぁ……。

 僕の、少なくともこれまでの人生は、消極性そのものでした。何をするにも、自分の「これがしたい」は前に出てきたことがありません。どこか人の顔色を窺った選択をしてきました。それというのも多分、「怒られたくないから」という気持ちがいつもあったんだと思います。

 これって結構普遍的なことで、「消極的な選択」を作るのは総じて「積極的な選択をすると怒られそうな雰囲気」なんですよね。大体は家庭環境と教育の問題になるかと思います。

 

 そう考えると、日本の教育って「消極的な選択を積極的な選択だと思い込ませる」ものだと思うんですよね。「消極的なことをやらせ続ける中で選択肢を与える」ってそういうことだと思うんですよ。しかも「選択をしない」という選択もあまり出来る雰囲気ではない。

 こういう教育をすると何が起こるかというと、「積極的な選択のしかたがよく分からない人」や「積極的な選択を悪とする人」が生まれてくる。

 日本でやたらとうつやら自殺やらが蔓延っているのもそのせいだと考えています。「意識高い系」の発現とか、エセ科学の流行も割とそのせいですよね。

 

 

 

 

最終的に何が言いたいかっていうと

 積極的に選ぶことって人生を豊かにするだろうと思います。なぜならほとんどのマイナス要素にも「納得」が伴うから。

 

 人間みんな「納得」を追い求めていくべきです。納得できないのにやり続けるのはやっぱり不毛でしかない。

 消極的な選択の先が嫌なことだらけで間違いだったと分かった時や、積極的な選択が思っていたのと違った時には、納得できないならやめて構わない、そこにかかってくる責任なんてクソくらえだと思ってもいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

 僕も幸せになりたいので、納得を追い求めてやりたいことやれるように頑張ります。