「Mera ye khayal」からはじまる

人間なので文を書きます

「なぜ生きるのがつらいのか」を考えました。

おっも

 すいません。

 

 毎度お騒がせしております。しておりません。うっでぃです。つい最近に普通のしゃぶしゃぶ屋での宴会において得意な歌を歌って騒いで怒られたことは記憶に新しいです。

 

 

 さっそくなんですが、僕は、というかみんなそうかと思うんですが、生きるのつらいんですよね。絶望の引き延ばしという感じの人生なので、だんだん絶望がほのかに匂ってきます。そんな折にこんな話題です。出だしから重みの嵐。

 

 それで、まぁなんでやろなぁ・・・(赤井さん)って考えてて一つ分かったことがあって、なんか大体生きるのがつらい時って共通した理由が一つあることに気付きました。それをこれから端的に説明します。端的にね。

 

 

 

 

もったいぶってないで教えろ

 すいません。

 

 

 この「生きるのがつらい時にいつもある一つの理由」というのが今回の記事の要です。耳かっぽじっても意味ないから目かっぽじってよく読んでください。いや、痛みが想像されるのでやめてください。

 

 

 

 なぜ生きるのがつらいのか?

 

 

 

 それは、

怒られるのが怖いから

じゃないでしょうか。

 

 

 

 

 この「怒られる」というのは、色々な出処次第では「否定される」とか「失敗する」とか言われているのと多分大体同じものだと思います。

 しかし、「怒られる」というのは人それぞれの解釈によってボーダーがあると思うんですよね。

 

 会話の中でちょっと「そうじゃないと思う」と言われただけで怒られたと感じる人も稀に、しかし確かにいるとは思いますし、一方「お前は死んだ方が社会のためになる」と言われたとしても何も感じないような人もまたいると思います。

 

 そんなわけで各々の意識によりますが、各々にとっての「怒られる」は相当なストレスに違いないと思うわけで、それを何とか避けようとしながらみんな生きてるんじゃないかと思うわけです。

 

 ついでに言うと、怒る主体も様々にあります。

 分かりやすいのは先生とか上司とか、自分の直属の目上の人ですよね、いつでも怒られる体制が敷かれていると言っても過言ではないですよね。

 他にも、ちょっと神経質な知り合いだったり、あるいは恋人だったり、ネット上なら匿名の人だったり?色々な怒る人がいて、それぞれに対して警戒していると何だか生きづらい気持ちになりますよね。

 

 

 怒られるのを怖がっている時、人間は「何かに追われ」ます。いわゆる切迫感というやつです。つまるところ余裕がなくなるんですよね。余裕はなくなればなくなるほど精神の回復もままならなくなります。要するにつらいんです。

 

 

 

 逆に考えてみてください。人生が楽しいと感じるのはどんな時か?

 たとえば休暇中、何かをやり終えて解放された時、何かに熱中してやまない時、何かを達成した時、etc...

 

 

 これらに共通しているのはそう、怒られる心配がない時ですよね。

 

 

 

 そういうわけで、僕は「個人の幸せ」の定義を考えたときに、「怒られる心配がない状態」なんじゃないかなと結論付けた次第です。

 

 

 この考え方、結構合点がいくところも多いんじゃないかと思うんですよね。

 たとえば、子供のころって何も考えてなくて楽しかったと思うんですけど、それって何かに怒られる心配がほとんどなかったからじゃないでしょうか。怒られる心配が少ないのみならず、そもそも何をしたら、何をしなかったら怒られるか想像が及ばないこともありますからね。

 あとは、「安定」って理想的な生活を表現する一つのキーワードだと思うんですが、心の安定っていうのを具体的に思い浮かべるとすると誰にも怒られる心配がない状態の時に得られるものだと思いませんでしょうか。

 

 思いませんでしょうか……

 

 

 

 やはり、怒られる心配は少なければ少ないほど良いと言えますよね。

 そう思うと、嫌なことから逃げて自分の得意なことをやるのって本当に大事なんだと実感します。嫌なことから逃げたいあなたに『しょぼい起業で生きていく』はすごく良い本だと思うので是非買ってください(回し者)。

woody-the-ojiya.hatenablog.com

 

 まぁこれは冗談じゃなく本当に、人間幸せになりたかったら怒られる心配のなるべく少ないところに身を置くのが一番だと思います。怒られるのが怖すぎて怒られるよりも死ぬことを選んでしまうのは悲しいことです。

 

 僕も幸せになりたいので、怒られそうな状態を出来る限り避けて生きていきたいですね。

 

 

 

 

 

 

とはいえ生きるのはつらい

 人間が怒られずに人生を過ごすのは大変難しいことであり、されば怒られそうな状態を避けて過ごすのはもっと難しいことです。そうした中であなたもわたしも生きているわけです。みんなえらいんです。よく頑張っているわけです。

 

 

 

 最近この「人間は怒られるのが怖いからつらい」という考え方を転がしてみたら、少し楽になった部分があります。それを紹介して終わろうかなと思います。

 

 

 みなさん、何か始めたいとか一歩を踏み出したいとか思った時に「社会」って怖くないですか?僕も今のところ怖くて怖くていつも身動きが取れずにいる状態です。

 でも、たとえば犯罪を犯した時に身元が報道されて陽の下では生きられないようになったりとか、そういう「本当に悪いことをしてそれが明るみに出た時」にしか真に「社会に怒られる」ことは無いんだと思うんですよね。

 しかし我々は相変わらず、別に犯罪する気なんぞさらさらないのに「社会に怒られるのを恐れて身動きが取れない」わけです。

 

 この「社会」というのは多分、自分の想像でしかないんですよね。

 自分の想像上の存在に怒られることを想像するというのは、まぁ何というかきわめてバカバカしい話だと思いませんでしょうか?

 

 思いませんでしょうか…………

 

 

 

 

 

 そういうわけで、多分思ったよりは怒られないと思うので、ちょっと何かには挑戦してみたいなと。そんな風に考えてやっていこうという所存です。やっていきましょう。